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2007年3月 アーカイブ

2007年3月 3日

自分のいのちが自分のものでないとしたら・・・

なんで、自分で自分を変えることができるのか?そもそも、変わるなんてことが本当にできるのか?

カウンセリングに対する批判で、哲学的に見て意味のある批判は、カウンセリングで人は変わるのか?ということです。念のため書くと、よくあるカウンセリング批判の、カウンセリングに効果があるのか、というようなものとはまったく異なります。確かにカウンセリングで人は変わったように「見え」ます。そして本人もカウンセリングのあの体験で自分が変わったと感じることも少なくありません。

それでも、本当にそれがカウンセリングの結果なのかは証明のしようがありません。しかし、そこを百歩譲ってそこに因果関係を認めたとしても、まだ話は続きます。

自分が自分を変える(自己決定)などということが本当に可能なのか?全ては定まっていたことなのではないのでしょうか?

たしかに、私は自分で自分のことを決めているように感じています。今日、おやつにセブンイレブンで肉まんを買うのではなくおでんを買ったのは、自分で決めたことのように感じます。しかし、そのことと、本当にそこに選択があったかどうかは別の問題です。

もしかしたら、そのことは決まっていて、私の意識では自分で選んだように感じているだけなのかもしれません。

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2007年3月 4日

試練を乗り越える考え方

自分にとって試練のようなことが身に降りかかったとき、そしてそういうときに限って複数の試練がこれでもかーーーーというぐらい重なるというのはよくある話ですよね。

友人たちと話していて試練を乗り越えるためにうまくいくパターンが3つあるということがわかりました。

パターン1:クリスチャン派:
「神様が自分を見て与えてくれた試練なのだから乗り越えられないはずがない。」

パターン2:仏教派:
「南無八幡台菩薩我に七難八苦を与えたまえ!」

パターン3:天然系:
「え、試練?そんなのどこにあるの?」

結局、「試練」に向き合う現状認識をするのがよいらしい。

ただし、短期的には苦しいことが多いのも事実。そしてストレスの上限を超えるとカウンセラーや医者のお世話になることになるのでそれもご注意。なかなかバランスが難しい。

2007年3月 6日

整体2

相変わらず、整体にいっています。そして、相変わらずなんとも、不思議な体験です。

先生がほんの1分ぐらいある位置に腕を固定したりするだけで、腕の動き方(稼動域や動きやすさ)が変わってしまいます。数十年間できなかったことが、先生の「ちょっとした」ことでできるようになってしまいます。今までの何十年はなんだったんだろうとまで思います。そして、体の動きを変えるにはハードな「特訓」が必要だという固定観念にとらわれていた自分に気づきます。

しかし、考えてみれば、セラピー(心理療法)と似ています。多くのクライアントさんは心の使い方を変えるためには「強い意志」をもって望まないと無理だろうと思っています。しかし、現実は違います。いわゆる「強い意志」は心の使い方を変えずに、力技で無理やり結果だけを出すやり方です。

セラピーで心の使い方が変わる瞬間の体験というのは、体験してみないとわかりにくいものですが、最初は「え?」それだけのことで、こんなにこだわっていたことが気にならなくなるの?というような力の抜ける体験です。

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2007年3月 7日

人生の勝者

今読んでいる本から感銘を受けた部分を抜きます。

(人生の勝者とは)自分が功あるべきだと考えるイメージのために自分の人生を犠牲にするようなことはしない。むしろ彼は現実の自分であることに専心する。したがって演技をしたり、見せかけの自己を持ち続けたり、(略)するようなことをしてエネルギーを消費することはしない。 (略) 彼は会いいすることと、愛情のあるように見せかけること、愚鈍であることと愚鈍にふるまうこと、利口であることと利口なふりをすることの違いがわかる人である。彼は仮面をかぶって真の自己を隠す必要はさらさらない。また劣等感とか優越感などの非現実的な自己イメージは投げ捨てる。

『自己実現への道』社会思想社 p3(ただし絶版)

これは、私が仕事で使う主な理論であるTA(Transactional Analysis;交流分析)の本です。TAは心理学の理論としてはユニークなものです。

その一つが、TAでは人生のゴールを設定しているということです。
ほとんどの、カウンセリング理論が、「~でない」「~でなくなる」という目標設定をするのに対して、TAは明確に目標を設定しています。勝者というのもその一つです。勝者といっても、上に書かれているように、他人に対して勝つのではありません。自分が人生に望むものを手に入れるかどうかで判断します。

「演技をしたり、見せかけの自己を持ち続けたり、(略)するようなことをしてエネルギーを消費することはしない」、と書くのは簡単ですが、実行するのは厳しいことです。無意識に人間は自分をしっかり問う前に周りを見て妥当なことをするように流れがちです(少なくとも私はそうです)。そんなことに、力を使うのではなくて、本当に自分が1回きりの人生に望むものを手に入れるかどうか、考えれば考えるほど、厳しいことだな、と思います。

2007年3月14日

生きるのは命がけ

最近、とみにそう思います。

本当に「自分の人生を生きる」というのは、大変なことです。世の中の規範に盲従したり、どうしたらほめられるかという観点で生き方を決めていれば、起こった結果については、ある意味「仕方ない」と諦めることができます。それは結果を自分以外のものに責任転嫁しています。

「自分の人生を生きよう」と決心すると、判断基準は自分だけです。もちろん、「判断基準は自分」というのは、わがまま勝手に生きるというようなことではありません。他人がどうしているか、多くの人はどうするのかではなくて、自分「は」何を望むのかを自らに問い、それを実現するために自ら考え、行動し、その結果を引き受ける必要があります。

全て自分の責任です。責任というのは、うまくいかなかったときに悪者探しをすることではありません。
誰々のせい、とか状況が悪かった、というようなことは責任転嫁ですし、「自分が悪かった」とうそぶくのも自分に責任を取っていることとは違います。

自分に責任を持つというのは、その結果に対して自分が感じることを、正面から味わう、ということに尽きます。
うまくいかなかったことが悲しければ、100%悲しむ。
傷ついたのなら、それを体験し、自分のために行動する。
幸せなら、それを体験する。

命がけというのは、自分を見つめてそれが人とは違うということに気づいたときや、自分が望むことを実現しようとしたときの不安は、主観的には「生きるか死ぬか」というほどの強さ・迫力で迫ってくるからです。

自分の人生の責任を引き受けた人だけに、自分の人生を生きたという幸せを体験することができます。
それはデジタルな1、0の世界ではありません。一段、自分の人生を生きるようになったとき、人生が、一段深くなったと感じ、生きていて良かったとより深いところで感じる、そんな一瞬があるように思います。

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