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2007年5月 アーカイブ

2007年5月12日

ヨーロッパのひとつの家vsパックスアメリカーナ

「ヨーロッパはひとつ」というのはヨーロッパ人の感覚(理想)らしい。1989年以降、国はずいぶん分割されたが、一方では統合へ向かった。

一つ一つの国にさまざまな伝統があり、かつそれを重視するヨーロッパにおいて、ルールを統一するというのは想像を絶する作業だろう。

たとえばビールに誇りを持つドイツには、何百年も前にできたビール純粋法なる法律があり、麦芽100%でないとビールと呼べなかった。そんなこだわりがない国もあり、「ビール」と表示できるものの定義は何であるのかひとつ決めるのにも、国ごとの伝統との葛藤が大変なことだろう。
それは、一つ一つの商品や規制、ルールに対してそういう作業が必要であるので、ちょっと考えただけでも作業量は天文学的だ。

ヨーロッパの人々はそれを成し遂げた。それはすごいことだと思う。戦うのではなく、気が遠くなるような議論の積み重ねにより、大きな夢の実現ために小さな妥協と譲歩を繰り返して乗り越えてきたということだ。
「ヨーロッパのひとつの家」という理念の下に、諦めず話し合い続けるという忍耐力。この社会にはいろいろな人がいろいろな考えで生きている。その一つ一つの価値観を尊重しながら、どうやって共存していくのか。ヨーロッパは長い歴史から学んできたのだろう。

一方、アメリカ的価値観が世界を席巻している。
911のテロのとき、「敵か見方か」の二分法で強引に世界を分断した。そこに話し合いの余地はない。武力や経済力を背景に自らの論理を推し進めていく。これもまた統一のひとつのやり方ではある。
確かに、敵か見方かの二分法は感覚的にわかりやすいし、情緒的に強力な訴求力を持つ。
そしてその強引さが、憎悪とテロという反発をさらにエスカレートさせる。
それに対して、徹底的な締め付け。締め付けといって悪ければ管理。・・・・・・。全ての入出国者から指紋と顔写真を撮り、パスポートにも生体情報を入れる。
日本政府が外国人登録に指紋押捺を強要したのが人権問題になったというどころの話ではない。
こんなことが成り立つのは、アメリカが戦時国家だからだろうか。戦争中は何をしても、目的が手段を合法化するからだろうか。

戦争の前に、話し合いを。自分と違う価値観と話し合う寛容さ、共存しようとする勇気、話し合いを続ける忍耐力、それが人類が歴史から学ぶべきものではないかと私は思う。

念のため書くと、個々のアメリカ人を批判するつもりはない。アメリカ人にいくと、寛容で勇気がある人が多い気がする。また、アメリカという国を否定する気もない。アメリカには見習うべきものが沢山あると思う。私の本業でいえば、大師匠はアメリカ人で、ものすごくすごい。アメリカの大学院での教育もすごい。
光と影、がすごい国だと思う。だからこそ、こちらもしっかり見据えて関わる必要があると思うのだ。

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