動作法

2007年9月29日

臨床動作法という心理療法がある。傍目には、整体とあまり区別がつかないのではないかと思うような「心理療法」で、数少ない日本オリジナルの心理療法だ。

やることと言えば、肩をあげたり、肩をそらしたり・・・体をつかう。体操ではないので、元気にやるわけではないし、ストレッチでもない。副作用(?)として肩こりが治ったりする。

今のところ、私は施行できるほどの技量はなく、たんに興味でたまに習っている程度だ。
何が面白いかというと、体と心のつながりを実感できることだ。
というのは、なぜ肩をあげるなどの体の動きが、「心理療法」になるのかという根本的な点が面白い。

動作法の論理は、簡単に言うと、心の動かし方の様式と、体の動かし方の様式は、その人ごとに一致している。だから、体の動かし方の様式を変えれば、心の動かし方の様式も変わる、と。

そんな馬鹿な、と考えるのは「心理療法」というものをあまり知らない人だろう。

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心理療法は基本的にそういう構図になっている。つまり、現実世界での心の使い方と、カウンセラーとの間での心の使い方は一致している。だから、カウンセラーとの間での心の使い方を変えると、現実世界でのその人の心の使い方も変わる、というのがフロイト以降ずっと利用されてきた心理療法のメカニズムだ。

ただ、それを体の動きと心の動きの一致という点でとらえたところが面白い。

肩を上げる。それだけの動作だが、ちゃんとやろうとすると難しい。
肩は上がるが、腕にも力が入る。腰にも力が入る。etc.etc。それは無駄な努力だ。
肩を上げる筋肉飲みに力を入れれば十分なはずだが、肩だけを上げるのは思いのほか難しい。

これを心理的なメカニズムに置き換えれば、人はかなり無駄な努力、不必要な努力をしているということになる。
そして、無駄な力を入れているから、おこる副作用もある。
本来上げられるはずのいちよりも、低い位置までしか上げられないのだ。
またまた心理的なメカニズムに置き換えれば、無意識の無駄な努力のせいで、本来よりも低いパフォーマンスしか出せないということになる。
また、同じ肩を上げるという動作にも、人によって使う筋肉(つまりアプローチ)がずいぶんちがう。
またまたま心理的なメカニズムに置き換えれば、同じような言動でも、それを実現した心理的なバックグラウンドは人によってかなり違う、ということになる。

そんなところを体感できるのが面白い。

さて、肩を上げていくと、痛みを感じるところが出てくる。
動作法では、「痛みを感じてつきあう」などという。
その痛みをじっくり体験していると、痛みが変化してなくなっていく。これが緊張がなくなるということなのだそうだ。
なくならないのだとすれば、それは痛みに向き合っていないのだ、と動作法の創始者(?)成瀬先生(御歳80以上とは思えない体の動きに驚嘆!)はおっしゃる。

確かにやってみると、5秒でと先生はのたまうが、私の場合はもう少し時間がかかり10秒強ぐらいだろうか、で痛みが軽減した。こうなると肩はもっと自由に動くようになる。

再度、「心もおなじ」と考えてみる。

たとえば、誰かに痛いことを言われる。
その痛みにつきあう
しばらくすると、感じ方が変わる(心の緊張が軽減する)
心が自由に動くようになる(クリエイティブな解決策が取れるようになる)

ということだ。
そして、しっかり痛み向き合わないと、痛みは取れない=心は自由にならない。

たしかに、言語による心理療法のプロセスとまったくおんなじだ。
なかなか、痛みに向き合うというのが難しい。

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2007年9月29日 10:11に投稿されたエントリーのページです。

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