自分のいのちが自分のものでないとしたら・・・

2007年3月 3日

なんで、自分で自分を変えることができるのか?そもそも、変わるなんてことが本当にできるのか?

カウンセリングに対する批判で、哲学的に見て意味のある批判は、カウンセリングで人は変わるのか?ということです。念のため書くと、よくあるカウンセリング批判の、カウンセリングに効果があるのか、というようなものとはまったく異なります。確かにカウンセリングで人は変わったように「見え」ます。そして本人もカウンセリングのあの体験で自分が変わったと感じることも少なくありません。

それでも、本当にそれがカウンセリングの結果なのかは証明のしようがありません。しかし、そこを百歩譲ってそこに因果関係を認めたとしても、まだ話は続きます。

自分が自分を変える(自己決定)などということが本当に可能なのか?全ては定まっていたことなのではないのでしょうか?

たしかに、私は自分で自分のことを決めているように感じています。今日、おやつにセブンイレブンで肉まんを買うのではなくおでんを買ったのは、自分で決めたことのように感じます。しかし、そのことと、本当にそこに選択があったかどうかは別の問題です。

もしかしたら、そのことは決まっていて、私の意識では自分で選んだように感じているだけなのかもしれません。

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結局この問題は解きようがない問題のように思えます。

解きようがないのなら、解こうとしないこと、それが妥当な対応ではないかと、今の私は考えます。思考停止です。

考える前に思考停止するのはどうかと思いますが、ぎりぎりまで考えて解けないことに納得したら、もう考えないで、自分で前提を決めてしまう。

「自分が自分の人生を選択している」、と。

今は、そんな感じです。

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2007年3月 3日 17:40に投稿されたエントリーのページです。

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