世の中のこと に関する記事一覧

パスポートを更新しました

2007年4月16日

新しいパスポートは、中にICチップが『埋め込まれ』てていて、顔写真を含むパスポートの内容がICチップにも記録されています。
ICチップが入っているページはパスポートの中央で、1ミリ強ぐらいのプラスチックのページです。これを「ICチップがパスポートに埋め込まれている」というのか?というのが、私の最初の感想です。日本の技術力をもってしたら、もうちょっとどうにかならないのかなあと思います。
これがあるためにパスポートがもやはしなやかなノートではなくなってしまいました。決してパスポートの取り扱いが丁寧とはいえない私には、気がかりです。万一、ICチップが破損しても、入出国に支障はないとどこかに書いてありましたが、それならそもそもICチップを入れる必要はないわけです。

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ヨーロッパのひとつの家vsパックスアメリカーナ

2007年5月12日

「ヨーロッパはひとつ」というのはヨーロッパ人の感覚(理想)らしい。1989年以降、国はずいぶん分割されたが、一方では統合へ向かった。

一つ一つの国にさまざまな伝統があり、かつそれを重視するヨーロッパにおいて、ルールを統一するというのは想像を絶する作業だろう。

たとえばビールに誇りを持つドイツには、何百年も前にできたビール純粋法なる法律があり、麦芽100%でないとビールと呼べなかった。そんなこだわりがない国もあり、「ビール」と表示できるものの定義は何であるのかひとつ決めるのにも、国ごとの伝統との葛藤が大変なことだろう。
それは、一つ一つの商品や規制、ルールに対してそういう作業が必要であるので、ちょっと考えただけでも作業量は天文学的だ。

ヨーロッパの人々はそれを成し遂げた。それはすごいことだと思う。戦うのではなく、気が遠くなるような議論の積み重ねにより、大きな夢の実現ために小さな妥協と譲歩を繰り返して乗り越えてきたということだ。
「ヨーロッパのひとつの家」という理念の下に、諦めず話し合い続けるという忍耐力。この社会にはいろいろな人がいろいろな考えで生きている。その一つ一つの価値観を尊重しながら、どうやって共存していくのか。ヨーロッパは長い歴史から学んできたのだろう。

一方、アメリカ的価値観が世界を席巻している。
911のテロのとき、「敵か見方か」の二分法で強引に世界を分断した。そこに話し合いの余地はない。武力や経済力を背景に自らの論理を推し進めていく。これもまた統一のひとつのやり方ではある。
確かに、敵か見方かの二分法は感覚的にわかりやすいし、情緒的に強力な訴求力を持つ。
そしてその強引さが、憎悪とテロという反発をさらにエスカレートさせる。
それに対して、徹底的な締め付け。締め付けといって悪ければ管理。・・・・・・。全ての入出国者から指紋と顔写真を撮り、パスポートにも生体情報を入れる。
日本政府が外国人登録に指紋押捺を強要したのが人権問題になったというどころの話ではない。
こんなことが成り立つのは、アメリカが戦時国家だからだろうか。戦争中は何をしても、目的が手段を合法化するからだろうか。

戦争の前に、話し合いを。自分と違う価値観と話し合う寛容さ、共存しようとする勇気、話し合いを続ける忍耐力、それが人類が歴史から学ぶべきものではないかと私は思う。

念のため書くと、個々のアメリカ人を批判するつもりはない。アメリカ人にいくと、寛容で勇気がある人が多い気がする。また、アメリカという国を否定する気もない。アメリカには見習うべきものが沢山あると思う。私の本業でいえば、大師匠はアメリカ人で、ものすごくすごい。アメリカの大学院での教育もすごい。
光と影、がすごい国だと思う。だからこそ、こちらもしっかり見据えて関わる必要があると思うのだ。

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仕掛け?

2007年6月12日

ビジネス系のニュース番組などで、「このビジネスを仕掛けたのは・・・」なんてことをよく聞きます。
とても、不快です。
「仕掛け」ってことは、そのビジネスのお客さんは、仕掛けに引っ掛かった魚みたいです。

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医療費削減?

2007年8月18日

高齢化に伴って医療費が増大しているのが問題らしい。医療費の話はとてもナイーブな話だ。

お役所の論理は<本当のところはよくわからないけど>、現行のルールだと、医療費が増大して健康保険が破綻するから、制度を守るためには、保険料を増やすか医療費の総額を減らしたいが、保険料を増やすのは社会情勢からみて難しそうだから、医療費の総額を減らしたい、ということではないだろうか。

<だれもが最高の医療を受けられる世の中>それが理想だろうか?

費用のことを考えなければ理想だろう。
しかし、100%自費診療ならそんなことはありえない。
それが可能だとしたら、実際に医療を受けた時の支払いが生活を脅かさない範囲に削減される必要がある。つまり、公費負担か健康保険かが、なければ実現しない。

でもそのことで、保険料が所得の50%になったらどうだろう(所得の50%は個人に課される所得税と住民税を合計した最高税率)。確かにみんながそのぐらい払えば、相当の医療ができるだろう。そういう世の中が住みよく誇りを持てる社会だろうか?

医療費の公費負担は「常に」所得の再分配を行うことになる。つまり払ったほどの医療を受けない人と、払った以上の医療を受ける人が出てきて、通常、富裕層は前者になり、低所得者層は後者になる。あまり、税金などを高くすると、富裕層は「こんな税金の高い国に住めるか!」と捨て台詞をはいて税金の低い国に移ってしまい、結局貧乏人ばかりが国に残ってしまい却って税収が減るから、税率の国際競争上あまり税率を高くすることはできない<と言われている>。

はたまた、アメリカのように、「健康保険は入りたい人だけどうぞ(それも米国の誇る選択の自由の精神です!)」。というのがいいのだろうか?
米国のような制度の矛盾は、本当に保険が必要な人は、保険に入れず(所得が低いから目先の必要がない保険に回すよりも今日の食べ物に回ってしまう)、保険料をたっぷり払える資力のある人はそもそも保険に入るメリットがない(保険料>支払いを受ける金額の期待値、であるから保険会社が成り立つわけであるから、自費で医療費を払える人は保険料を払うよりも自費で払ったほうが統計的には有利である)ことだろう。ビル・ゲーツには1等賞金3億円の宝くじを買うメリットもなければ、自動車保険に入るメリットもないということだ。

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「命の値段」を支える仕組み

2007年9月 9日

残念ながら、人の命はお金に置き換えることができる。「人の命に値段は付けられない」という建前とは別に、現実には値段がある。それが市場主義が行きつく先だ(市場原理主義)。

身近なところでは、自分の過失で相手が指を失ったらいくら、足一本ならいくら、死んだらいくらと、相場が決まっている。
高い生命保険に加入して自分の「値段」をあげる人もいる。

そしてまた、そうやってつけた自分の値段と引き換えに命を売り渡す人もいる。会社や家族、場合によってはマイホームを守るために、保険金目当てで自殺してしまう人がいる。発展途上国では、お金に困って臓器を売るのも珍しくない。臓器も命もみんな商品だ。それは個人レベルの涙ぐましくも痛ましい事例だが、国家レベルでも同じことはある。

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管理責任

2007年9月29日

世の中全般に「管理責任」を非常に強く求める社会になっているような感じがする。

いまから10年以上前のことだが、私の母校(私立高校)のサイクリング同好会が事実上お取り潰しになった。現役とOBを集めて顧問はいった。「お前たちは生きていても社会の迷惑になるだけで何の価値もないが、死ぬと億単位の価値が生まれるんだ。昔の親は本人がやりたくてやったことだからと(事故死しても)許してくれたが、今の親は許してくれない。億単位の賠償金を払ったら学校が潰れてしまうんだ」と。さびしいことだが、同意せざるを得ないことだった。

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