管理責任

2007年9月29日

世の中全般に「管理責任」を非常に強く求める社会になっているような感じがする。

いまから10年以上前のことだが、私の母校(私立高校)のサイクリング同好会が事実上お取り潰しになった。現役とOBを集めて顧問はいった。「お前たちは生きていても社会の迷惑になるだけで何の価値もないが、死ぬと億単位の価値が生まれるんだ。昔の親は本人がやりたくてやったことだからと(事故死しても)許してくれたが、今の親は許してくれない。億単位の賠償金を払ったら学校が潰れてしまうんだ」と。さびしいことだが、同意せざるを得ないことだった。

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新弟子を見殺しというか殺してしまった何とか親方の「管理」は言語道断だが、私の高校の時のサイクリング同好会の顧問の「管理」でも、死のリスクは常にあった。血気盛んな高校生が自転車で山登りをする。登るだけならよいが登れば下りがある。もともとスピードが出る設計になっているので、ダウンヒルだと60Km/hぐらいは軽く出る。血気盛んな高校生がコーナーごとに安全な速度に減速するはずもない。よほど車が好きなのか私の目の前で車に飛び込んで行った友人もいたし、自転車と魔法使いのほうきを間違えたのか自転車にまたいだまま崖から飛び降りた男もいた。
私の個人的感覚からすると、高校生男子に「安全」ばかりを求めるのは、角をためて牛を殺す結果になるのではないかと思う。まあ、飛びこまれた車はいい迷惑だが・・・。

幸いにしてサイクリング同好会からは死者は出なかったが、もし死者が出たら、顧問は何とか親方と同じなのだろうか?

保育園の先生から、子どもがほかの子どもとやりあってちょっと傷を作ったのを怒鳴り込んできて、今後子どもをしっかり管理してそういうことを起こさないように念書を書くように迫った親がいると聞いた。いったい、どうしたら、2歳児・3歳児がたくさんいる中で、やりあったりすることがないようにできるのだろうか?
子ども一人ひとりを檻にでも入れようか?檻が聞こえが悪ければ「個室」だ。
そして、そういう管理ができるとして、それは望ましいことなのだろうか?

「自殺しない教育を」のところでも書いたが、現実の世の中、特に子供の世界は<いい・悪い>は別にして、現実的に物の取り合いやらなんやらで年中小競り合いが起こっている世界だ。その中で、いきなり実力行使をするのではなくて、話をしようね、ということを学んでいく過程でもある。その過程の中に、小競り合いもできないようなあまりにしっかりした管理があると、そんなことを学ぶチャンスがなくなってしまう。

生きることには必然的にリスクが伴う。それは怖いことだ。しかし、リスクを減らそうと血眼になって、必然的に存在するレベルのリスクにまで手をつけると、まわりまわって反撃が来るように思う。たとえば、清潔な暮らしはよいことなのだろうが、あまりに清潔な生活の結果としてバイ菌などに免疫系が働く余地がなくなり、免疫系が本来排除する必要なのないものを排除するような暴走<アレルギー反応>が増えてきたのと同じような顛末にならなければよいな、と思う。

生きる上である程度のリスクを甘受する。難しいことだが、必要なことだと思う。

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